生きている限り人間には心があり、感情があり、そしてその大部分は曖昧なものです。
そんな曖昧な心をもった人間同士の感情に、きっちりした説明が必要でしょうか。感情とは自然に生じたもので、それ以上でもそれ以下でもないものです。その由来を説明することに、どれはどの意味があることでしょう?
たとえば、恋愛をしている人が「なぜ自分はあの人を愛しているのか」など精魂つめて自己分析する必要があるでしょうか?「愛しているから愛している」と、それだけで十分のはずです。
こうした分析は、なんとなく自分を解明するように思えるかもしれませんが、じつは逆に自分自身をきめつけ、縛りつけてしまいます。一種の抑圧です。
ところが、人間の真の感情というものは、こうした抑圧をもっとも嫌い、反発します。
その勢いが無意識の領域で風船のように膨らんでいき、いつか破裂します。そのときに行き場をなくしたエネルギーが、多汗症などの症状に形をかえて表れるのです。
多汗症である自分を、ことさらに説明して押し込めるのでなく、あるがままに受け入れることです。